高校に入学してすぐ再び卓球部に入りましたが、スパルタの夏合宿に体力がついていけず退部しました。入部中は帰宅するとバタンキュー、授業は居眠り…となると、お決まりの低落コースです。元々捨てていた理科はまだしも、そこそこ出来ていた数学も、sin,cos,tan(サイン・コサイン・タンジェント)の出現により…終わりました。
定期テストの結果が理科0点・数学10点だった時、毒舌だけど面白い担任(国語教師)から『まんじゅう』と呼ばれました。理由を聞くと、「2科目も0(まんじゅう)付きの欠点とは甘くないぞ~~」と追い打ちをかけられる始末。真面目なふりをして得た平常点を加え、何とか欠点を免れた次第です。救いは国語と社会。活字中毒&歴史オタクだったおかげか、中学時代より成績が良かったです。肝心の英語は平均並み、既に得意科目ではなくなっていました。

許可を得たものの進学校の掟を破り、高1の夏休みからアルバイトに精をだしました。朝は新聞と牛乳、帰宅後は夕刊の配達、日曜は祖母とそれぞれの集金をしました。早起きが苦手なうえに、土曜の牛乳配達は日曜分を加え2倍の量(当時はビン牛乳が多かった)だったので、部活と同じ位ハードです。とはいえ、勉強も運動もやり遂げられず、貧しさで惨めだった高校時代、お金を稼げることだけが誇りでした。
バイト代の一部は、今で言う「推し活」に使いました。当時『新御三家』と呼ばれるアイドルの1人に沼り、LPレコード(50代以上なら分かる)を擦り切れるほど聴き、年に一度のコンサートでは、ファン仲間とノリノリでペンライトを振り回していたなぁ~~。
高校2年の秋、父が肝硬変で亡くなり、初めて本気で自分の進路に向き合うことになります。そこに至る過程は長くなるので割愛しますが、誰が何と言おうと、「四年生大学に行こう。それも関西(お笑いの本場だから)」と決めました。国立1期2期の世代、現実的に理数のない2期(公立)か私立の文系に絞りました。
国語は現代文・古典とも得意で、社会は好きな日本史を選び、問題は英語です。文法は中学レベル、単語は定期テスト前だけ丸暗記で定着していません。それなのに将来の需要を見込んで英文科を志望しました。今になるとこの判断は正解でした。

そしてMind Set!ここが重要です。晴れて大学生になった自分をイメージし続け、前もって入学式用のジャケット(スーツは高いので諦め)を購入しました。一方、勉強から逃げたくなった時は最悪の事態を思い浮かべ、このまま惨めになっていいのか、それは嫌だと自分を追い込み、萎えた心を奮い立たせたものです。
国語と日本史は教科書の復習で十分でしたが、高校英語は当時grammar(文法)・reader (読み取り)・composition(作文)があり、中学の知識量では太刀打ちできず自信喪失。そんな時、クラスメイトがとっておきの参考書を教えてくれました。
受験生のバイブルと言われる、森一郎先生の『試験に出る英単語・熟語・文法』シリーズ(廃刊)です。その3冊を全部暗記したら、力試しに教育社の『トレーニングペーパー』(廃刊)を仕上げました。毎月1冊¥1000で送られてくる通信教材。A4サイズで大きめ、書き込みができ、裏のページに同じような問題が繰り返し出題されているのが気に入りました。月初めに届くこの問題集を待ちわびている自分に気づいた時、人生に初めて光が見えたのです。

〜 中略 〜
京都での大学生活。サークルに入ると、先輩がアルバイトを紹介してくれました。賄い付きの飲食業やデパートなどの販売業が多く、平日の授業以外はアルバイトに明け暮れる日々。週末は「餃子の王将」で飲み食いし、「マハラジャ(ディスコ)」に通い踊り狂っていたなぁ~~。
そんなある日、クラスメイト(はんなりした京女)から塾講師の依頼がありました。病気で3ヶ月入院するため代わりの講師を探していたら、やたら働く私が目についたようです。堅苦しそうで気乗りはしませんでしたが、時間給の¥1500(飲食業¥500)に目がくらんだのと、病弱な彼女の助けになればと思い引き受けました。
忘れもしない最初のレッスン。坊主頭がチラホラする素朴な中3男子のグループです。他にも塾の中学生全部の英語を担当しました。夢中になって教えているうちに約束の3ヶ月が過ぎ、正式にアルバイトを引き継いでほしいと頼まれました。その頃はもう、生徒たちといる時間が楽しくて辞められなかったです。こうして長〜い講師人生が始まりました。そうそう、かつて中学生だった最初の教え子たちは還暦を超え、今や立派なじいちゃんです。(笑)
※今日7月4日は、アメリカ合衆国独立250周年記念です。
Stay hungry,Stay foolish.
貪欲であれ、愚直であれ。
(まりちん訳) Steve Jobs

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