#20 嬉し楽し!お笑い人生。きっかけは幼少期の黒歴史でした。

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今や、知る人ぞ知る風の時代。昨年の11月に破壊と再生を象徴する冥王星が水瓶座に入り、約20年鎮座すると言われています。本物だけが残る軽やかな世界へ、いち早く舵を切り面白がっている水瓶座まりちんです。

コロナ禍を経て、夢も希望もないという若者が増えています。夢があり過ぎる割には挫折を繰り返してきた身としては、摩訶不思議な現象に思えます。希望に溢れた20代、最終的に残った私の夢は、①日本のカレーライス&ぬか漬けを世界に広める②お笑い旅芸人になり全国ツアーをする、でした。

①は、これぞというビジネスパートナーに出会わなかったこと、②は、コンビを組みたい親友に断られたことにより、どちらも儚い夢物語になりました。その親友とはチーム妖怪のYちゃん。お寺の住職なので無理を承知で打診したら、「ピンでやったら?」と提案されましたが(笑)そこまでの自信はありません。

因みに、このブログに登場する藤の花・初日の出・虹の画像は、Yちゃん激写です。時を経て、ほぼお笑いと化したブログに華を添えてくれています。

若かりし頃の夢は何一つ叶わずじまいですが、シニア世代になってみたら、こうして好きな仕事と活動ができ、夢のような暮らしをしています。今さらですが、趣味でブログを始めて分かったことがあります。私の至福はお笑いを表現すること。トークでも文でもいいので、お笑いネタを言葉で操っている時間が一番イイ気分なのです。私にとって、「お笑い」は人生宝くじの特等賞!と言えるでしょう。

さて、私がお笑いに目覚めたのは、人生初の黒歴史の最中でした。実は、普通にまりこちゃんと呼ばれていた4〜5歳(年中さん)の1年間、不登園児だったのです。理由は、どうしてもソリの合わない保育士さんがいたからですが、単に私のワガママだったかもしれません。既にヤサグレてましたから。

もちろん、あの時代に引きこもり幼児なんて…どこにもいません。友だちがみんな幼稚園にいる平日の昼間、ぬり絵を切り抜き、紙の着せ替え人形に着せる服を大量生産していた記憶があります。怪しい幼児でした。

その頃の楽しみといえば、日曜夕方のテレビドラマ「てなもんや三度笠」でした。ギャグ連発の珍道中記で、これがお笑いとの出会いです。番組後半の決まり文句「あたり前田のクラッカー」(これが分かるのは65歳以上)を、今か今かと待ちかねて過ごした時間が懐かしいです。その後、幼稚園には年長さんとして1年だけ通いました。

さらに、お笑いまりちんの極めつけは、関西で学生時代を過ごし、持ち前の天然キャラに、本場の「メッチャおもろい」感性が融合したことです。それにしても、生粋の大阪人はスゴイ!世間話でもボケとツッコミを駆使し、ずっと笑わせてくれるのですから。

思い起こせば、生死を分かつ手術の前夜、主治医が眠れないだろうからと処方してくれた精神安定剤に目もくれず、病室で笑いをこらえながら「踊るさんま御殿」を見ながら熟睡しました。よって最善の結果となり、この時から私の人生に深刻さが無くなりました。病という兵を打ちのめす一番の武器は、ナチュラルキラー「笑い」だと認定しましょう。

まだまだ続く、お笑いへの飽くなき探求。「まりちんの知恵袋」を書きながら思うのです。私が私であることが、こんなに楽しいなんて🎶

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