昭和半ばに生まれ、物心ついてから私の姉や(子守り)生活が始まりました。その後平成・令和と、教育という名の子育て業に携わっています。
子育てのメンター(師匠)は祖母です。親に恵まれなかった私は、父方さの祖父母に養育されました。祖母は、私の知る限り計18人を育て上げ見守った、最強子育てばあちゃん。その初孫として、明治・大正時代から連綿と受け継ぐ子育て(計7人)を体験しました。初めての育児は、川で布オムツを洗ったこと。弟のクサ~~イうんちが何事もなかったかのように流れていきました。小学時代は、従兄弟姉妹たちをおんぶしながら読書し、哺乳瓶に粉ミルクを入れ人肌くらいに冷ますのがルーティン。おかげで、子どもとの向き合い方を肌感覚で学べたような気がします。その子たちも、今や初孫の誕生に目を細める年代になりました。※詳しくは自著「セカンドステージ」に綴っています。
ただ、教師になるには不利な環境でした。子どもを寝かしつけてやっと宿題ができると思いきや、貧乏だったため「電気代がもったいない」と言われ、早朝学習に切り替えた記憶があります。学校の勉強どころではありません(笑)。
こんな毎日でしたから、勉強嫌いの子どもと同じくらい、育児が嫌でした。面倒くさくて、心身共重労働。机に座ってガリ勉する方がよっぽど楽でした。

そんな私でも教育業に足を突っ込み、どんな変な子でも可愛いく思える講師になりました。かといって甘くはありません。障害をもっている生徒に対しても腫れ物に触るような教育はしません。私自身が障害者で、そうされることを望まないからです。最近、小学生に言われました。「Mariko先生を怒らせたら最後」(笑)。何が最後か人それぞれですが、私が本気で向き合っていることだけは分かってくれています。子育てのゴールは自立。
また、心が整っていない保護者に対しては、嫌われるのを承知で軌道修正します。親の心が乱気流だと、子ども心は不安と怖れで行き場をなくしますから。その先に辿り着く場所が子どもの命運を決めることになります。良くも悪くも。「虚弱体質・貧乏・頼れない親」という子ども絶望三重苦の私が希望をもって生きてこられたのは、祖母という心の基地=無条件の愛があったからです。

職業柄、親子相談が5000件以上ありました。世の中にはたくさんの教育指南書があるにも関わらず、子どもに対する母親の悩みは後を絶ちません。カウンセラーとして悩める心理の分析をすると、母親が自分を責めて終わるケースが多いので、奥の手で「ばあちゃん直伝の子育て」を提案しています。
ここで私が一番得意な子(人)育て術を紹介します。それは、「子ども(気になる人)を可愛いと思える距離感にいること」です。心理学でいえば「課題の分離」、他者との境界線を引き、必要以上に介入しないこと。これができると、すべての人間関係が好転します。改めて、心理学など知る由のないばあちゃんが、経験という知恵をもって私たちを育て、自立させてくれたことに感謝しましょう。
※かわいいと思う心の置きどころ
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