カリーの話は萬福だと思いますが、もう少しお付き合い下さい。前回記事を書いた後、人生初のご褒美ランチが蘇りました。それこそ私のthe Best curry!です。
学生時代~20代、私は京都で暮らしていました。最初の下宿先は、伏見桃山の大手筋通り脇道にある古民家です。家賃3000円と格安でしたが、仕送りがなかったので、奨学金とアルバイト収入が頼りの勤労学生でした。食費を浮かすために、賄い付きの飲食店をかけ持ちしたおかげか、舌だけは肥えたようです。一番長く働いたのは、今も尚人気の「サラダの店サンチョ」。ときおり元祖友活メンバーとマスター(現代表取締役)に会いに伏見本店に伺います。
バブル前の高度成長期、働き先は山ほどありましたが、授業の合間と夕方以降しか労働時間がなく、金銭的余裕はありません。楽しかったサークルを退会し、帰省は四年間で2回だけでした。
そんな中、サンチョに向かう通りすがり、外観が白一色の喫茶店「カフェドプロバンス」を見つけ、最初は給料直後、次第に週一のペースで通うようになりました。お目当ては泣きたいくらい美味しいカレーです。マイルドながら絶妙なスパイスの効かせ方、とろけるビーフ、サラリとかけた生クリームと融合して、何とも上品な味。当時、サラダとドリンク付きで800円、バイト時給の2倍だったので、心して味わいました。そしていつしか、これが頑張った自分へのささやかなご褒美になっていたのです。
一時期、このカレーを世界に広めたいばかりに、店のママさん(50代)に弟子入りしようかと考えたりもしました。ところが、運命の歯車は思わぬ方向へと回ります。急病で入院することになったクラスメイトから、冬休み限定で塾講師のピンチヒッターを頼まれたのです。気が進まないながらも、飲食業の三倍の時給に目がくらみ(笑)引き受けました。これが私の教師人生の始まりです。
20代の終わり、九州に帰ることに決め、京都での最後の日、幻のカレーの食べ納めをしました。その後、カフェドプロバンスは閉店し、味を引き継ぐ人もいないでしょう。思い出に撮った写真を見ると、若き日の自分と重なり、泣けるくらい懐かしくなります。I miss me.
あれから46年、私はというと、料理作りより受験戦略が好きな迷物グランマ講師になってしまいました。ただ今、年末恒例冬期講習の真っ最中。還暦までは英語職人と言われ、カッコつけていましたが、それ以後は脱皮して、イギリス人が名付けた”funny (おもろい) mariko”へと路線を変更しています。それでも、追い込み時期は手厳しい職人にならざるを得ません。とりわけ、必須単語を暗記していない高3受験生には、当てつけがましく、老眼用に2倍にコピーした過去問の長文をチラつかせながら、「66歳のばあちゃんが覚えているのにー」とゲキを飛ばします(笑)こんな私ですが、習えるうちに習っておきましょう。
もうひとつの毎年恒例は、Xmasホームパーティー。手作りのヒレステーキコース料理&サーティワンのケーキが用意されています。今年もありがたく、上げ膳据え膳で頂きました。

仕事納めは明日30日。強風でなければ、出張レッスンは駅まで自転車で通います。最終コマ(21時40分終了)まで務める日もありますが、治安が良いので、凛とした寒気の中、ナイト・サイクリングは格別です。周りからは、こんなシニアはいないと驚かれたり、呆れられたり…大丈夫、変人ですから。
まりちんの2024年、素敵な幸齢者や可愛い若者たちに囲まれて、美味しく幸せな年でした。
ありがとうございました。

コメント